僕のNSP日記~其の21
両親の離婚を機に僕は父の実家にいた。父の実家は栗駒町岩ヶ崎で雑貨屋を営んでいて、祖母と伯母の3人暮らしだった。転校を拒んだ僕は若柳の中学まで片道17キロの道のりを自転車で通っていた。実は好きな女の子も自転車通学でその子の家の前を通るのが唯一の楽しみだった。
僕のNSP日記~其の22
両親が離婚する前の日に何故か家族でボーリングに行った。おそらく僕がボーリングが大好きだったから最後ぐらいは笑顔の思い出を残してあげようと父と母と姉は話し合ったんだと思う。僕の心には「さようなら」の「あれは嘘っぱちなんだね」の歌詞が突き刺さった理由がそこにあった。
僕のNSP日記~其の23
「NSPみたいなグループを作りたい!」高校生になるまで待てなかった。メンバーを見つけるために学校にギターを持って行き昼休みに弾いていた。拓郎や陽水を歌うと学校中に噂が流れた。ある日の給食後にNSPを歌ってると別のクラスの上畑(仮名)が「それ、誰のなんていう歌?」
僕のNSP日記~其の24
上畑は合唱部の仲間だった。部活と並行してコンクール用に歌の上手い奴が集められていた。上畑は更に「それってアルペジオじゃないよね?」僕は得意げに言った。「あぁ3フィンガーだけど教えようか?」「じぁ明日俺もギター持って来るね」まずは「NS」あとは「P」を見つけるんだ
僕のNSP日記~其の25
僕と上畑は昼休みも放課後も「さようなら」を歌いまくっていた。
ある日学校帰りに二人で「キング時計店」にギターの弦を買いに行くと「キョウジ君、あのNSPのレコードめちゃくちゃ売れてるよ」「んだっぺ」「キョウジ君学校で歌ってるでしょ?皆んなそれ聞いて買いに来たんだよ」
僕のNSP日記~其の26
「えっ、皆んな?」店員さんは「20人以上買って行ったよ。全員中学生で、聞いたらキョウジ君が歌ってた『さようなら』ください。って」なんか嬉しかった。NSPが知られていく事ももちろんだけど自分の歌が売れてる様な錯覚もあった。NSPになりたいという妄想は益々膨らんで行った。
僕のNSP日記~其の27
毎日の様に練習し上畑君も3フィンガーが上達していた。僕たちの「さようなら」もまあまあのレベルに達していた。あとはもう一人のメンバーの「P」探しだった。僕はバスケ部の大会を終え、合唱コンクールに向けて中学最後の夏休みに入った。僕は自転車でNSPの都、一関に向かった。
僕のNSP日記~其の28
実は17キロの自転車通学は1学期だけだった。夏休みからは同じ栗原郡の金成町の母の実家で祖父、祖母、伯母、従弟と暮らす事になった。部屋にはステレオがあってギターも毎日弾けた。そこから18キロしか離れていない一関にNSPはいるんだ。一関高専に行けば会えるかもしれない。
僕のNSP日記~其の29
父のうどん屋も開店準備に入っていた。母の居場所は不明だった。
2時間弱で一関に着いた。パロマに入ると光彦が笑顔で「夏休みだべ?」俺「うん」光彦「喫茶店行こう」俺「ここ喫茶店だっちゃ」光彦「NSPのメンバーが来てるかも」俺「えっ、、。」その瞬間にある事に気がついた。
僕のNSP日記~其の30
俺は決してNSPに会いたいわけじゃないんだ。NSPみたいになりたいだけなんだ。ファンじゃないワナビーなんだ。ビートルズの様にNSPの様に自作自演に憧れているんだ。NSPの歌の背景を知りたかったし、歌詞とメロディとNSPサウンドの虜だった。まだシングルの2曲しか知らなかったのに
僕のNSP日記~其の31
光彦は「リラに行こう」僕は彼と歩きながらNSPのいる街の観察を始めた。ビートルズはリバプールからNSPは一関から生まれた。俺は「さようならの機関車ってどこにあるの?」「ああ、すぐそにあるよ」少し歩くとその機関車はあった。僕はすぐにかけ登ってみた。「NSP発車オーライ」
僕のNSP日記~其の32
イギリスのリバプールはビートルズが売れて以降沢山のグループを輩出した。僕は一関が日本のリバプールの様な気がしていたのかもしれない。僕は光彦と「リラ」という喫茶店に入った。「中村くんは今日はいないの?」光彦は店の人に話しかけていた。「就職活動だって」「えっ⁈」
僕のNSP日記~其の33
「就職活動⁈」たしかにNSPの3人は一関高専の5年在学中で他の同級生達は就職活動も佳境に入っている頃だろう。だけどレコードデビューしてるのに何故就職活動を?レコードデビューってミュージシャンの職に就くって事じゃないのだろうか?頭の中のパニックはなかなか治らなかった。
僕のNSP日記~其の34
店の人は「でも9月にLP出るらしいんだよね」僕の頭はさらに混乱した。ファーストアルバムが出る事を知った喜びとメンバーが就職してしまうかも知れないという驚きだった。甘い物と塩辛い物を一緒に食べた感じだった。僕はイチゴショートケーキを一口食べながらコーヒーを飲んだ。
僕のNSP日記~其の35
NSPはデビューしアルバムも発売しようとしてる中就職活動もしている。でもよく考えると僕もNSPの様になりたいし進学もしなきゃいけない。今で言う「学生あるある」なのかも知れない。とにかくLP発売の情報に心躍った。僕はLP完全コピーの為のメンバー探しを続行する事にした。
僕のNSP 日記~其の36
母の実家の隣の家には(隣りといっても70mは離れている)東京から家業を継ぐ為に帰って来たプロのバンドボーイをしていたギターリストがいた。僕は毎日の様に通いギターを教わったりドラムやベースも触らせてもらった。ギターを沢山持っていてベンチャーズをよく弾いていた。
僕のNSP 日記~其の37
その人の部屋は離れがあって4チャンネルのテープレコーダーを持っていた。「キョウジ、お前歌を作ったら録音してやるぞ」「えっ、それってオリジナルって事⁈」何という環境だろうか。今考えてみると人生って嘘のように出来過ぎているとあらためて思う。14歳、作曲をはじめた夏。
僕のNSP 日記~其の38
僕には拓郎の詩は異次元だったけどNSP の世界は身近な風景だった。中2の時、母と一緒に家を出て行った姉が置いていったノートに走り書きした詩があった。「叫び_ 誰もが理知的な人を好み 美しい人を愛するのか。人並み以下の生活をして 醜い姿のものは忘れられてしまうのか。」
僕のNSP 日記~其の39
カルメンマキの「山羊にひかれて」に似た暗い歌になった。ちっともNSP じゃなかった。僕は金成町沢辺の家で出て行った母を思い出しながら「ちっちゃな足あと」という詩を書いた。夏休みの終わりに好きだった女の子と松島と仙台にデートに出かけた。15歳の誕生日のすぐ後だった。
僕のNSP 日記~其の40
好きな女の子と出かけるなんて生まれて初めての経験だった。学校帰りに中華そばを食べて自転車で一緒に帰るのがデートだった。松島で遊覧船に乗って飛んでる海鳥に餌を投げたり、仙台のデパートで彼女が合唱コンクールの舞台用にベルトを買ってくれた最高の幸せな時間だった。