僕のNSP 日記~其の61
きっと神様が僕にNSP を引き合わせてくれたんだ。中2年でギターを買って色んな音楽聴いたけど自分で曲を作るまでには至らなかった。なのにNSP の出たばかりのLPを半分まで聴いたら凄くいい曲が作れた。いつかNSP に入りたい。それは無理でもいつか一緒に演奏する夢を見ていた。
僕のNSP 日記~其の62
小さい頃はビートルズやグループサウンズを聞いていた。バンドのノリが好きだった。「新青春」もライブの方が断然気に入った。なんだろう、この公開録音の空気感は?ステージと客席の垣根がないどころか学級会の司会と他の生徒みたいな一緒に進行していく雰囲気も初めてだった。
僕のNSP 日記~其の63
「がんばれ やせがえる」柳の下のどじょうは聞いた事があったけど?若干ハタチが歌う人生応援歌。まさかやせがえるが天野くん自身と気づくのに50年かかった。昆虫や爬虫類といった子供目線の生き物っていうところがまた身近で田舎の日常だった。それが天野文学の真骨頂だった。
僕のNSP 日記~其の64
「ぼくの夏休み」遊園地もローラースケートも体験した事ばかりだったのに同伴喫茶という聞いた事の無い名称が出て来て辞書を調べても載っていなかった。その部分を飛ばせば全部理解出来た。ただ曲は好きだった。僕は次の日学校で先生に同伴喫茶について質問した。「後で職員室に来い」
僕のNSP 日記~其の65
先生は「同伴喫茶はどこで覚えた?」と聞いてきたので「歌の歌詞です」「それで何て歌ってるんだ?」「二人で行きたかったと歌ってます」「ん?まだ行ってないんだな?」「はい」先生は少しほっとした顔をして「んじゃぁ良かった」半年ぐらいは意味がわからないまま聴いていた。
僕のNSP 日記~其の66
「昨日からの逃げ道」はギターのイントロ、ベースのフレーズ、歌詞、メロディ、歌い方とコーラスどれをとっても最高にカッコ良くて痺れた。衝撃を受けた「さようなら」と演奏の構成やベースのうねり方も近かったし、とにかくNSP というグループを凝縮した感じがする名曲だった。
僕のNSP 日記~其の67
「死ぬことを約束出来ない事は、、」いつ死ぬかをという事だと思ったけど思春期の絶望感って「死」だったよね。僕も中2の時に中学が放火され父子家庭だった事とかで半年間犯人と疑われて自殺をしようとした事があった。「私の瞳に明日は見えない事はわかりきっていたはずなのに」
僕のNSP 日記~其の68
「さようなら」のライブバージョンも圧巻だった。聴きながらコピーしている僕にとってフェードアウトでの終わりはショックだった。レコードの針を戻しながら「巨人の星」で野球を始め「柔道一直線」で柔道を始めた僕の新しい行き先は「NSP 」に決まった。
まずは髪を伸ばそう。
僕のNSP 日記~其の69
僕は若柳の朝野堂で買った「ヤングフォーク」を開いてギターの通信販売の広告を見て悩んでいた。
メンバー候補の上畑はアルペジオとスリーフィンガー奏法が出来るようになった。八坂はエレキギターを買っている。その時点でベースギターを手に入れなきゃNSP にはなれないんだ。
僕のNSP 日記~其の70
母の実家のとなりのギターを沢山持ってるお兄さんを訪ねた。「ベース持ってませんか?」「あるよ、教えてやるよ」お兄さんの部屋にはギターは10本以上あってその中にベースも2本あった。そのうちの少し短いELKと書いたベースを貸してくれた。アダモの「雪が降る」を教わった。
僕のNSP 日記~其の71
この「雪が降る」のベースラインがマイナーな曲の多いNSPのコピーにはうってつけの教材になった。でも歌いたいし誰かがベースを弾かないとNSP サウンドは成立しない。んーやっぱり両方やりたい。八坂と交代でベースを弾こう。エレキのソロはあいつ、生ギターのソロは僕が担当と。
僕のNSP 日記~其の72
まずは一番最初に聴いた「さようなら」のベースからコピーした。この曲は歌いたいのに、歌いながらベースを弾くのはかなり難しい。一曲目で心が折れた。そうだ!「あせ」から覚えよう。すぐに弾けた。あまり達成感は無かった。ベースのコピー2曲目は何故か「ちょうちょ」だった
僕のNSP 日記~其の73
僕のベース人生は平賀和人で幕を開けた。1982年にトラブルというロックンロールバンドでデビューした時にリーゼントに革ジャンに革ズボン。デビュー前のビートルズと72年にデビューしたキャロルの矢沢永吉ばりに弾くバイオリンベースからは誰も想像出来ないだろうがそれが真実だ。
僕のNSP 日記~其の74
もっと驚きはトラブルのサイドギターのリッキーは若柳の小学からの同級生で僕とは別のNSP のコピーグループをやはり中3でやっていた。どう見てもキャロルの血を引いているようでトラブルの半分はNSP で出来ていた衝撃の事実。2007年のトリビュートコンサートで彼は一緒に演奏した。
僕のNSP 日記~其の75
リッキーは「いい」を弾いてくれた。僕はその前に一関出身のきくち伸氏の演出する「堂本兄弟」という番組で「さようなら」を歌ったのだが中村さんと平賀さんが一緒に演奏してくれて夢のような経験をしていた。リッキーは憧れのNSP のメンバーと共演出来て物凄く興奮していた。
僕のNSP 日記~其の76
僕も彼もNSPで思春期を過ごした。2005年3月12日に観た渋谷公会堂を思い出し楽屋で二人で号泣した。この2年間きっと消化出来ずにいたんだ。ステージでは中村さんがcharの弾くギターに乗せて「コンクリートの壁にはさまれて」を熱唱していた。この曲もまた沢山の思い出があった。
僕のNSP 日記~其の77
僕のベースの先生はもうひとりいた。中学校がある若柳に「Now」という喫茶店があった。そこにはボーカルアンプ、ギターアンプがあって歌声喫茶みたいな場所になっていて弾き語りを何度かさせてもらっていた。そこに岡君という姉の同級生でこれぞミュージシャンていう先輩がいた。
僕のNSP 日記~其の78
古くはグループサウンズ。はっぴいえんど、グランドファンク。ギターもベースもドラムもこなすマルチプレイヤーだった。毎日何十杯ものコーヒーをサイフォンで入れるのを生業にしていた。僕がNSPを歌う時は同級生やら後輩が聞きに来ていたがその時は岡君がベースを弾いてくれた。
僕のNSP 日記~其の79
レオンラッセルが大好きな人でルックスも似ていた。ベルボトムのGパンに長髪にタレ目のサングラス。4つ上だから19歳なのにだいぶ前からタバコは吸う酒は飲むわの絵に描いた不良だった「Now」ではフォークとロックしかレコードはかけなかった。歌謡曲や演歌のレコードはなかった。
僕のNSP 日記~其の80
僕のグループの上畑と八坂と練習を開始した。「あせ」「いい」「おひるねの季節」「ちょうちょ」「新青春」「昨日からの逃げ道」「さようなら」を半分天野滋、半分平賀和人になりきりギターとベースを弾きわけたスタイルだった。約ひと月で僕たちはかなりNSPぽくなっていった。