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僕のNSP 日記~其の140

僕は菊下君に「『コンクリートの壁にはさまれて』は弾ける?」そう言ったとたん彼はいきなりイントロのギターを弾いた。さっき本物を聞いてきたばかりの少年3人はNSPになりきり演奏が始まった。僕は歌いながら「こいつめちゃくちゃギター上手い」と思いながらベースを弾いていた。

 

僕のNSP 日記~其の141

曲が終わるとマスターもカウンターの女の人も大きな拍手をしてくれた。僕は「もう一曲お送りします」実はいつも岩地君と練習する時の3つのコードを巡回しての遊びだった。岩地君が弾き出すと僕のベースが後を追ってそこに菊下君のギターが重なり第二のNSPの誕生の瞬間だった。

 

僕のNSP 日記~其の142

僕と岩地君は見つめ合い満面の笑みだった。驚きだったのはギターのフレットも全く見る事もなく目を瞑り延々とアドリブを弾き続ける菊下君にだった。4、5分は演奏が続きエンディングの合図を僕がすると見事に息が合い終わった。マスターが「好きなモノ好きなだけ飲んでいいよ」

 

僕のNSP日記~其の143

僕たちはレスカを飲みながらグループ名を考えていた。僕は行き先を明確にするためにもNSPにちなんでアルファベット3文字がいいと提案し2人も賛成だった。僕が作っていた歌に出てくる女の子は中3の時の彼女だった。彼女の名前を音読みして「JUNはどうかな?ちょいとオシャレだし」

 

僕のNSP日記~其の144

岩地君も菊下君も「JUN、いいね!それとリーダーは恭司君に決まりだね」昭和49年7月9日NSP一関凱旋コンサートの日「JUN」は結成された。「ますば目標を決めようよ。僕は第二のNSPになるためにはFMリクエストアワーに出たいな」「いいね」「まずはオリジナルを作って練習しよう」

 

僕のNSP日記~其の145

菊下君がこう言った。「オリジナルは僕もあるんだ」僕は正直驚いた。ちょっと前まで中学生だった3人がなかなかのテクニックでオリジナル曲でラジオに出ようとしているなんて。僕は「練習はどこでやろうか?」と言うと菊下君は「僕の家の蔵でやろう」「イイねJUNにかんぱーい!」

 

僕のNSP日記~其の146

 

NSP一関コンサートの次の日、3人は興奮しすぎて学校を各々早退して釣山公園に集まった。それほど昨夜の演奏はそれぞれ強い衝撃を受けていた。早く菊下君の蔵で練習したいけど学校をサボってまでは無理だ。その日から釣山公園が僕たちJUNの集合場所になった。16歳になる夏だった。

 

僕のNSP日記~其の147

一関高専にNSPの後輩でZABというグループがいて7月9日のNSP一関文化体育館のコンサートでも前座で演奏していた。僕たちより4つぐらいは年上だった。僕たちJUNは知名度もないしまだファンもいない。僕は「待っても待っても」を聴きながらどう行動を起こして行くかを考えていた。

 

僕のNSP日記~其の148

JUNの初めての練習は菊下君ちの蔵で週末に行われた。NSPのコピーを何曲か演奏すると岩元君が「コピーがいくら上手くなってもしょうがないからオリジナルをやろうよ」と言った。僕は頷いてベースからギターに持ち替えて「ちっちゃな足あと」を歌うと二人はじっと聞いていた。

 

僕のNSP日記~其の149

歌が終わると菊下君が「まるでNSPだね。いい曲だけど俺たちだけの世界観のオリジナルを作ろうよ。じゃないとNSPのモノマネ、二番煎じだねって言われるよね」

自信満々で歌った僕は鼻をへし折られた感じがしたけど至極正論だったし求めている場所が高い事が

物凄い嬉しかった。

 

僕のNSP日記~其の150

「その通りだね。じゃ今日からお互いに新しい曲を作ろう。それまでは演奏力を上げよう」と僕が言うと岩元君が「ハードロックのコピーやらない?ディープパープルとか」菊下君が「いいねNSPだって元々はロック志向だったわけだし、コンクリートの壁にはさまれてをもう一度やろう」

 

僕のNSP日記~其の151

何故僕たちがハードロック系に行こうとしたかは「NSPⅡ」の"char"というギタリストの登場であり「コンクリートの壁にはさまれて」という名曲の影響だった。それほど僕らにとっては大きな出来事だった。NSPはただただフォークギターを奏でるグループでは無くなっていた。

僕のNSP日記~其の152

僕たち3人が出会ってちょうどひと月後の一関の夏祭りの日、「コスモ」という千厩のロックバンドが大町の歩行者天国で演奏する噂を聞いて見に行った。楽器やアンプを千厩の農協から借り入れして揃えた機材は本家のディープパープルにも劣らない品物だった。僕たちは興奮していた。

僕のNSP日記~其の153
発売されたばかりの「ライブインジャパン」の完全コピーで圧倒された。演奏が終わり「さとう屋楽器店」に入ると店の社長が「店の前で演奏してみるか?」と僕たちに言ってきたので「はい」と答えると社長は直ぐにアンプやPAの準備を始めた。JUNの初ステージは突然にやって来た。

僕のNSP日記~其の154
社長は「レモンのマスターから聞いたよ。なかなかヤルらしいな」
と笑いながら言った。そして「いいか、人前に出たら絶対にチューニングせずにいきなりはじめるんだ。素人は必ずやるんだ。絶対駄目だぞ」そう言ってセッティングを終えた。「皆さんこんにちはJUNです!」

僕のNSP日記~其の155
僕たちは得意のアドリブを演奏し始めた。3つのコードを繰り返し、僕が思い浮かんだ言葉を歌う。例えば「一関の夏~」とか。プログレの様に激しくなったりバラードになったり気分次第で全く同じ演奏は2度とないフォークグループとしては珍しい形態だった。群衆の中に姉がいた。

僕のNSP日記~其の156
店の前にはだいぶ人が集まっていた。七夕飾りの隙間から姉は嬉しそうにカメラで写真を撮っていた。1曲終えた僕は得意げに「NSPの曲でもやりましょうか?」と言うと歓声が上がった。僕たちは目を合わすと「コンクリートの壁にはさまれて」の演奏を始めた。僕は歌いはじめた。

僕のNSP日記~其の157
本物の第二のNSPになろうと僕たちはFM盛岡の「リクエストアワー」に出演交渉する為担当のディレクターを調べて電話した。最初は門前払いだったけど毎日電話してるうちに担当者は「君たちの演奏を聞いてみないとなぁ」と言った。僕たちはオリジナル曲をテープに録音する事にした。

僕のNSP日記~其の158
「FMリクエストアワー」の担当者に電話口に僕たちのオリジナル曲を録音したテープをかけて聞いてもらった。「これって本当に君たちの演奏なの?」「はい、もちろんです」「2、3日、時間くれる?こちらから連絡するね」顔は見えないが声の感じからすると印象は良かった感じがした。

僕のNSP日記~其の159
それから3日後に本当に担当者から電話があった。「ひと月後の10月19日に北上で公開録音があるけどそれに出演する?」「やったー!」とうとう16歳の少年たちのグループはNSPをスターに押し出した番組の出演を勝ち取った。「JUN」結成から僅か2か月目の9月の初めの出来事だった。

僕のNSP日記~其の160
ラジオの番組で演奏する曲を作る作業が始まった。担当者の話しでは他の出演者の演奏曲はカバー曲だという事だった。僕たちは特別2曲演奏してもいいと。但し一曲は「コンクリートの壁にはさまれて」が必須条件だった。あと一曲を是が非でもオリジナル曲で勝負したい僕たちだった。

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