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~NoSPが誕生するまで~

髙橋ジョージはNSPの大ファンで中学生からNSPを追いかけグループを組んで高一の時に「さとう屋楽器店」前で夏祭りの日「コンクリートの壁にはさまれて」を演奏し、NSPになりたくてFM盛岡の「リクエストアワー」の北上公開録音にも出演し、それがきっかけでプロになる決意をした。 1993年高橋ジョージは「ロード」の大ヒットで初の虎舞竜全国ツアーを行い日本青年館の最終日に憧れのNSP天野滋と平賀和人の二人を前に「さようなら」を歌った。その後天野と高橋は何度か食事している。2005年3月12日のNSP渋谷公会堂公演を天野が命懸けのステージに立つ事を知りながら高橋はコンサートを観る。終演後楽屋を訪ねた高橋は天野と「またゆっくり話そう」と一言交わして別れたのが最後となった。 その後フジテレビの「堂本兄弟」に高橋が出演した際NSPの「さようなら」を歌いたいと演出のきくち伸に懇願し中村貴之、平賀和人に出演を依頼。中村と平賀は快諾し共演が実現した。その際、高橋はオリジナルのNSPのアレンジでやりたいと、平賀は93年に観た虎舞竜の青年館のアレンジでと意見が別れたが前半をNSP、後半を虎舞竜のバージョンでの演奏となった。天野滋の3回忌では新宿厚生年金会館で行われたトリビュートコンサートでも参加ミュージシャン最多の4曲を高橋は歌唱した。
  本年NSPデビュー50周年を記念して平賀と高橋は期間限定ユニット「NoSPノー・サディスティック・ピンク」を結成。

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